遊び

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・たこ作り 極め、伝える 

~83歳、田無の濱野敏郎さん(1面 )

正月遊びで人気の高い「たこ揚げ」。江戸凧むらさき会代表の濱野敏郎さん(83)=田無町6丁目=は、市内外のたこ作り教室の先生として招かれたり、自作の江戸凧を揚げに出かけたりと大忙しでした。 

 

今年も各地で出張指導 

 1月3日、昭和記念公園(立川市)のみんなの原っぱ。「手作り凧を揚げよう」の催しには280人の子どもたちが訪れ、濱野さんと会の仲間が手ほどきをしました。今年で18回も続いています。この日はポリエチレンシートに竹ひごを取り付ける簡単な「ダイヤ凧」でした。7、8の両日は、柳沢公民館が催した親子たこ作り教室で教えたのは和だこと連だこ。 濱野さんがここでたこ作りの先生をするのは12年ぶり。その年、みんなに下絵を描いてあげたところ、「もったいながってか、だれも揚げに来ませんでした」。 今回は4組9人の親子が参加し、1日目は和だこ作り。漫画のキャラクターの顔の形をしたたこを手本に、長方形の和紙から作り始めました。作業の節目ごとに、ひょいひょいといった感じの身のこなしで作業台を回り、褒めたり手伝ったりしていました。 2日目は連だこ作りです。ダイヤ型の50枚を仕上げ、午後から近くの武蔵野中央公園へ。 風はほどよく吹き、子どもたちが前日作った和だこはすべて青空に舞い揚がりました。濱野さんは連だこを1枚ずつ慎重に扱い、こちらも見事に揚がりました。「連だこは先頭が要で、全体をコントロールする」と満足そうな濱野さん。

 

 麦踏み、農村の手助け

   昭和の初期、自宅周辺はたこ揚げが盛んだったと言います。当時の田無町は麦畑が広がり、冬は霜柱で土が浮かないよう固めて麦の幼い株の根張りをよくするための麦踏みが大事な農作業でした。子どもたちのたこ揚げは麦踏みにもなっていたのです。 濱野さんは小学校2年生ごろから父親にたこ作りを教わりました。江戸時代中期に伝わったとされる江戸凧は、大きなものは縦が10尺(約3・3㍍)もあり、突き上げる波頭や武者絵などの華麗な絵柄には目を見張ります。 骨にする真竹の3年物を神奈川県の足柄地方まで取りにいき、紙は京都の黒谷和紙を取り寄せます。絵柄の色付けは光を通してきれいに見えるよう染料を使うなど、聞くほどに奥の深さを感じます。 大きなたこは、本体から延びる糸が一カ所に集まる「糸目」まで100㍍を超え、そこからさらに200~300㍍の揚げ糸をつなぎます。多摩地域には大だこを揚げる場所がなく、九十九里浜(千葉県)や秋ヶ瀬公園(埼玉県)などに出かけます。 「たこは竹、絵、揚げる、の三拍子がそろってこそ面白いのです」江戸凧が風に乗り、ゆったりと大空に浮き上がった瞬間の達成感は「子ども時代に帰ったよう」と屈託のない笑顔を見せました。

    (取材=鹿島、佐藤、三浦)

 

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